潰瘍性大腸炎の母は子どもと切磋琢磨したい!

子どもの成長、学習、絵本、おもちゃ、潰瘍性大腸炎、妊娠のことなど記す予定です

妊娠の話②-3 切迫早産で入院するまで

妊娠の話②-3

妊娠中期〜後期(切迫早産で入院)

 

依然として軽いつわり(みぞおち辺りにつかえがあるつわり)は、前回記したようにずっと続いていましたが、もうすぐ後期という中期の終わり頃に、ようやく少しは動けるようになりました。

 

ずっとまともに外出しておらず、体力はものすごく落ちてました。

自分の中ですごく鮮明に覚えているのは、徒歩で妊婦健診に行く途中、よちよち歩きの子に普通に抜かれたことです。

あれは衝撃でした。私、こんなに歩くの遅いんだー!と。

妊婦であることを差し引いても、遅かったですね。まぁ、食べ物もきちんと食べられてなかったですしね。

妊娠中なのに、人生で1番痩せてました。

 

話がそれましたが、少し動けるようになったので、せっかくなので夫と日帰り観光に行くことにしました。赤ちゃん産まれたらゆっくりできないですしね。

 

訪れた所は、水が美味しく空気も良くて気持ちよかったです。

訪れた寺院の方がすごくいい方で、少し話をしてお守りを買って帰ってきました。

 

そしてしばらくして訪れた妊婦健診。

外に干してあった洗濯物を取り込んで畳み、時間が迫ってたので、後で片付けようと思って出かけました。

 

健診では赤ちゃんは順調でしたが、なんとなんと‼︎

切迫早産の診断。

 

先生や看護師さんから、

「すぐ旦那さんに連絡してー」

「それで許可取れたらすぐに点滴打つからそのまま入院してねー」

「お腹の子が初めての子だし、家で他の子の世話があるわけじゃないから、できればすぐに入院してね」

と、言われました。

 

あまりの展開についていけず。

仕事中の夫にダメ元で電話してみると、なんと出てくれました!

こんな時間にかかってくるのは只事じゃないと思ったらしいです。

 

夫も私も「えー!」状態でしたが

「赤ちゃんが大切だから」

の言葉に納得し、すぐに点滴を打たれそのまま入院となりました。

 

そして、さっきまで歩いてたのに、病室まで車椅子でした。

自分の知らない世界だったので、衝撃でした。看護師さん(ここでは助産師さんでもあります)は見慣れた光景らしく、みんなはじめは呆然としちゃうよね。って感じでした。

 

私はそのまま入院でしたが、人にはそれぞれ色々な都合もあるので、一旦お願いして家に帰る人もいるらしいです。

 

というわけで、私が外を動けたの半月ほどでした。。。

夫も家に帰って、片付け途中の洗濯物を見て、急な入院を実感したらしいです。

 

そこから、入院期間は2ヶ月でした。

37週になれば退院できるそうで、そこまでぴったり2ヶ月でした。

 

入院生活は、ずっとお世話してもらえるのでそれは楽でした。

上げ膳据え膳で、「あなたの仕事は寝てること、動かないこと」と言われました。

だからベッドでできるゲームしたり、本を読んだり、娯楽はさせてもらって精神的には楽させてもらいました。

 

ただ24時間の点滴は辛かったです。

週に3回シャワーは浴びれますが、シャワーの時も点滴の針は残したままで、看護師さんに水に濡れないようしてもらってから、浴びてました。

寝てる時も点滴の腕はずっと保たないといけないので、お腹が重いのに、寝返りなど簡単にできませんでした。

 

また針の位置によっては痛みが続いたのと、うまく入らなくて失敗することもあったし、だんだん針を刺す場所がなくなってきて、ものすごく痛い所に打たれて我慢することもありました。

痩せてる腕に針跡と青あざだらけでした。

 

あと、面倒だったこともあります。

それはトイレに行くたびに、尿量を測らなければいけなかったことです。(トイレに1番近い病室で、トイレは歩いて行ってました。)

これも点滴してる腕じゃなかったらそこまで苦でもないんでしょうが、お腹は大きいし、点滴はもちろんトイレにも付いてくるので、ガジャガシャしながらトイレ行くのも大変でした。

 

ただ看護師さんたちは、皆さんとても気さくで、たくさんお話してくれたり、わからないことを教えてくれたりしました。

すごくありがたかったです。

 

夫も仕事帰りにほぼ毎日病院に寄ってくれて、パジャマを洗濯して持ってきてくれたり娯楽物を持ってきてくれたり、話し相手になってくれました。

これもありがたかったです。

 

こんな感じで、37週まで2ヶ月間、病院で過ごしました。

 

次回は妊娠後期〜出産までの話です。

ここまでお読みいただきありがとうございます♪